職人の後継者問題を解決するために、誰もがモノづくりできる鍛冶工場をつくり、
さらに里山の自然と共に暮らしながら、未来をインストールしていく。
Voice : MUJUN Workshop & 里山インストール 小林新也氏
職人の後継者問題を改善したい
私の両親は代々、表具師として働いてきました。しかし、私が中学生になる頃から、父が新聞を広げて暇そうにしている姿をよく見かけるようになりました。そこから「なぜ表具という仕事がなくなりつつあるのか」と考えるようになり、日本の文化自体が衰退しているのではないかという漠然とした不安を感じていました。
地元で活動を始めたきっかけは、友人を通じた仕事でした。刃物問屋を営む彼の父親から「新しいハサミのデザインをしてほしい」と依頼されたのです。取り組み始めてすぐに、業界全体が高齢化していることは印象として伝わってきました。しかも誰に話を聞いても、弟子を取ったことのある職人は誰もいない。つまり、ハサミのデザイン以前に、技術自体がもう少ししたら途絶えるんじゃないかと思ったんです。
産業的には金物はジャンルで分類されていて、例えば握りバサミを作る人は、ずっと握りバサミを作り続けるんです。そのため、「このジャンルはこの人が最後」といった事態が現実に起きている。つまり、「これ、日本から消えるんですか?」という危機感に駆られ、強い使命感が芽生えました。
そこで「播州刃物」という名前を掲げ、地域商標を取得。そして、とにかく価値を上げて職人さんの利益率を高める。これをやらないと、「やりたい」という人なんて現れませんから。このモノの価値を考えたときに、どう考えても安すぎると感じ、適正価格に戻そうと考えました。しかし、日本国内では既存の流通構造が壁となり難しい。そこで、まずは東京の展示会に出展し、販路を開拓することに。すると、たまたま来場していたフランスの方から「パリ・デザインウィークに場所を用意するから参加しないか」と声をかけていただき、招待されることになりました。
継承されてきた技術の魅力
古いものほど洗練されています。道具は手に持って使うものなので、使いやすさはもちろんですが、一番素晴らしいと思うのは、メンテナンスしやすいようにもなっている。だから本当に長く使えて、職人の手にも馴染んでいくし、当然仕事のクオリティーも上がっていく。ほんとに素晴らしくて完璧ですよね。変える必要がない。ただ、見せ方だけは現代にあわせて変えました。
伝統をつなぐ鍛冶屋工場
伝統的な弟子入りの形で技術を受け継げたのは、たった1人。その職人は今、小野市で独立して工場を構えています。その師匠である水池さんに「もう1人か2人、弟子を取ってほしい」とお願いしましたが、「10年見なきゃいけない。もう自分にはその責任を全うできる年齢じゃない」と断られました。もっともな話です。でも、このままでは本当に技術が絶えてしまう。
そこで私たちは「MUJUN Workshop」という新しい鍛冶屋工場を立ち上げました。ここでは、とにかくやってみることができる。とりあえず、ヘタでもいいから作ってみる。で、それを持って水池さんのところへ行くと、「ここはこうやれ」と的確に教えてくれるんです。
町には他にも色々なジャンルの職人がいるので、「この工程はあの人に」「この技術はこの人に」と、それぞれから学ぶことがうちの工場ではできる。
道具がなくなったら、日本の伝統的なものづくりや文化も連鎖的に衰退していくのは簡単に想像できます。中でも、道具を作れる職人は本当に貴重だから、絶対に残していきたい。それが「MUJUN Workshop」の目的です。
里山インストール
技術は小野市で学ぶことができました。でも、本当の意味で持続させるには、ものづくりをする環境から全部やらないといけないんです。
今、山地では本当にものづくりができなくなってきていて、このままだと、鍛冶屋が当たり前のように仕入れていた鋼が廃番になる可能性も十分にある。下手したら数年後にはできなくなるかもしれない。だからとにかく急いで、その環境から材料・燃料・資材を自分たちで生み出す取り組みを始めました。
里山というのは、山と谷があって、谷に川があり、その川のそばに田畑があって、その少し下がったところに住居がある。これが里山のパッケージ。で、これを譲り受けて「里山インストール」というプロジェクトをはじめました。
近くに生えていた木を有効活用して、建築を自分たちで行ったり。空き家のリノベーションも工務店に頼まず、自分たちで行う。そのために製材所も作りました。
また、自然を理解するために、里山のスペシャリストを講師としてお招きして、山のデザインのポイントを学びながら日々活動しています。
次のステップとして、この地域はかつて「たたら製鉄」が盛んだった場所で、一部には今も砂鉄が豊富にあります。その砂鉄と炭を還元結合させて鋼をつくる実験を繰り返し、ノウハウを蓄積し、将来的にその鋼から刃物道具をつくる計画も始めています。
古い機械も非常に重要です。昭和の頃の機械を何とかして譲り受け、ここまで運び、使えるように整備して使っています。お年を召した職人さんが辞めるときに譲り受けるんです。機械は基本的に鉄でできていて、溶かしてリサイクルされがちですが、そういった機械を作っているメーカーはもう存在しません。だから、溶かしてしまったら取り返しがつかない。だからその貴重な機械を、僕たちが引き取って使っています。それってWin-Winなんですよね。
里山体験からモノづくりを考える
自分でもかなり太い大木を切って、それを運んで製材したり、皮もできるだけ捨てずに活用したりしています。これは、自分がデザインをやっている人間だからかもしれませんが、やっぱり、こういう活動を自分で体験しないと、「未来はこうしていくべきだ」という、人類としての責任みたいなものを本気で感じられないと思うんです。いくら本を読んで「今は山を大事にしないと」とか「地球環境を守らないと」と思っても、その“責任感”というのは、なかなか実感できない。だからこそデザイナーもモノづくりに携わる人も、自然ありきで自分たちが生かされていることを理解して、自然に対して責任を持った上でモノづくりをするべきだと思います。
自然のポテンシャルで地域を活性化
この場所は、感覚的に言えば“村化”していく気がしています。村という単位が、かつてはものすごい自給率を持ち、生活もモノづくりも含めて、持続可能な社会を生んでいたと思うんです。ここで生まれてくるものが「かっこいいから欲しい」と、海外からでも人が訪れてくる。むしろ「ここに来ないと買えない」と思わせるくらいの魅力を持った場所が日本の自然のポテンシャルなら作れると思うんです。
だからこそ、いろいろなジャンルの方々に来てほしい。アーティスト・イン・レジデンスも始めています。昨年はオランダ在住のアーティスト2名がここに長期滞在し、主にフィールドワークを通して材料資源や歴史・文化をリサーチ。その23ヶ月の間に作品を制作し、ここに置いて帰るというプロジェクトを始めました。これは今後も毎年続けていきます。このプロジェクトは人がこの場所を訪れる理由にもなりますし観光資源にもなります。さらに、ここに住んでる人が当たり前と思ってしまっているものに新しい視点を加えてくれたり、価値を再認識させてくれる。そういった意味でもとても価値のある取り組みだと考えています。
日本人が、もしかすると縄文時代からずっと続けてきたこと。受け継がれて当たり前だったことが、この半世紀ほどで止まってしまった。そこに、僕のような存在が現れて、「この続きを取り戻す」。そんな作業にも感じています。逆に言えば、どれだけ尊いものを日本人は捨ててしまったのか――そんなことを痛感しています。僕らがやっていることはこの続きを取り戻し、その先へと進化させていくこと。そこにこそ本当の意味での「未来」があると思っています。